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日本語のデザイン (新デザインガイド) 永原 康史[新デザインガイド]日本語のデザイン
永原康史 著(美術出版社、2002年4月)

今月になって読んだ松岡正剛氏の『17歳のための世界と日本の見方』の中で特に興味が惹かれたのは、もともとの日本語である大和言葉には文字がなかったということだった。中学か高校の日本史ですでに知っているはずのことだと思うが、ぼくが忘れているのか、民族が文字をもつことの関心を持たずに今まできたからに違いない。本書は
「日本語はもともと文字を持たない言語である。」(p20)
と始まり、倭語が文字を獲得し、発展させる歴史が書かれている。松岡氏の著書でかき立てられた興味に本書は十分に答えてくれた。グラフィックデザイナーを対象にした日本文字の教養書であるが、一般の人でも文字の発展に興味のある人なら楽しめる内容となっている。歴史的な「書」の図版がふんだんに掲載されているので視覚的にも楽しめる。

「はじめに」で、著者は

自分たちの言葉は単純に日本語だと考えているが、私たちはつい百年前の文字も読むことができない。いま、基本だといわれている文字組みは、あの美しい日本の文字のかたちからはるかに遠い。(p6)

と書いて日本文字の変遷の激しさを暗示している。
一方「おわりに」で書いてあることは日本文字の現実を適格に言い表していると思うので、少し長いが引用すると、

かなを女手とよぶことからでもわかるように、日本語の表の顔は漢文である。しかし、本書では女手の流れを追った。ひらがなこそが日本の文字だと思ったからである。ひらがなの歴史は漢字にあらがってきた歴史だ。あらがうというほど、能動的でないかもしれない。常に破格に身を置き、くずれ、かしぐ、「たおやめぶり」である。扱うテーマは性と美、そして「うた」である。一方、「ますらおぶり」を発揮する漢文は、政治、思想、宗教を記述してきた。現在の表記法は雅俗混淆で、漢文が本流だとは分からなくなっているが、組版や書体などの視覚的な部分では明らかに漢文がベースになっている。このことに気づいている人はどれくらいいるのだろう。意外とプロフェッショナルといえどもこういったことには無自覚なのだ。(p130)

はい、無自覚でした・・・。この指摘はとても大切なことだと思う。漢文がベースになっていることを知っても、直接に文字組版に反映することはないに違いない。しかし日本語文字組版に対するスタンスがどこか違ってくるような気がする。

本書は、文字を持たない日本民族が大陸からの漢字で文字を知り、外国語としての漢文を日本語でもある漢文に変化させたことから始まり、現代のデジタル時代ならではの、文字に定着する以前のテキストデータまでを網羅している。この中でも著者が力を入れているのは、たぶん、ひらがなの誕生ではないだろうか。このあたりの記述はエキサイティングでもありおもしろい。漢字の呪縛から開放され、精神的な自由を得た大きな出来事だと理解できる。

ひらがなの誕生を読みながら、ぼくはデジタル時代の現在は、平安時代の宮廷人が獲得した自由と同等のものを得るチャンスにあるんじゃないかと思った。

ぼくは20代の始めにタブロイド版の新聞を刷っている町工場のような印刷所の写真製版工だった。そこではまだ活字を使っていた。ひまな時は鉛を溶かす熱気の充満する活字鋳造室に入り込んだり、原稿と活字を入れる木箱を持ちながら壁一面のケースから活字を拾う文選工とおしゃべりをしていた。その中でもぼくの目が釘付けになったのは、タブロイド大の枠に活字や写真製版の鉛板をレイアウトしていく植字工の見事は手さばきだった。

ぼくはその後、写植を専門学校で学び、デザイン事務所を職場に選んで写植オペレータをしながらグラフィックデザイナーたちからデザインを学んだ。長い年月の後、コンピュータを手にし、DTPを経て今はWebサイトを作っている。たぶん、活版印刷を体験したWeb制作者は珍しいはずだ。本書には最後の章「文字産業と日本語」が活字から写植、コンピュータによるDTP、そしてWeb である。ぼくの体験した現場がそこに書かれている。

ぼくは日々の生活費を得るために仕事をし、今も続けているが、本書を読むとつくづく文字に関わってきたことを嫌でも認識させられた。今、過去を振り返って、活版の植字工のレイアウト作業とDTPのソフトウェアであるQuarkXPressやIllustratorで行うレイアウト作業は広い視野から見れば同質だと感じている。HTMLを使ったウェブデザインの仕事をして、これまでの仕事と決定的に違う何かを知った。現在、ぼくは CSS(Cascading Style Sheets)によるウェブサイトのレイアウトに取り組んでいるが、やっと長い間の仕事上の文字の呪縛から開放された気分を味わっている。

例えば、文字の大きさを決めるのはデザイナーではなくて、見る側の人だ。それはCSSで作られたウェブサイトをブラウザーに表示することで実現されている。これ一つを取っても文字の大きさという呪縛から開放されている。さらに突き進めれば、私たちは文字を持たなかった時代の語り部に誰もなれるはずだ。小型デジタルデバイスの中に記憶(情報)をぶち込んでやればいい。そうすれば意匠としての文字の役割は終わるかも・・・。本書からは、こんな連想も膨らむ刺激的な日本語文字史だった。

(2008年1月24日 記)